『筆舌』 RADWIMPS
歌詞
作詞:野田洋次郎 作曲:野田洋次郎
電話帳の中の人が少しずつ死んでいったり
唯一行きつけの居酒屋は潰れ変な店に変わったりあんなに好きだった人が結婚して子供も産まれたり
その後シングルマザーになり久しぶりに連絡がきたりATMまで行って金貸した脚本家の彼は今や売れっ子だけど
あの時のなけなしの5000円はまだ返ってきてなかったり生きてりゃ 色々あるよな
生きてりゃ 色々あるよなぁ そりゃそうだよなぁ
そりゃそういうもんだなダチの腹に癌が見つかりなんかヤケに食らったり
いつ死んでもいいとか言ってた俺も検査に行ってみたり小3だったあの生意気な親友の子供は今じゃ
高校にあがり親の金くすねコンドーム買っていたりこのペースで時が過ぎるなら一人ぼっちで死ぬ可能性が現実味を帯びて
人知れずぽつんと死ぬなら夏場は嫌だななんて思ったり生きてりゃ 色々あるよな
生きてりゃ 色々あるよなぁきっとこれからだって想像をゆうに超えてこいや
「ずっと」とか「絶対」とか「一生」とかないのはもうわかったから
せめてもう少しだけこのままで ねぇこのままでいさせて失ってからしか気づけないような出来損ないとわかってるんだ
それなら俺は 俺をあと何回無くせば気づけるんだろう君はいないのに 全然いなくなんないのは ねぇなんでなんだろう
あの頃バンドを始めた仲間はほぼ辞めていたり
今の流行は歌って踊ったりヒップホップが占めていたり「ただいま」も「おかえり」もない日々が人生の半分以上を占め
「それと引き換えに手にした喜びがあるじゃねぇかよ」なんて言い聞かしたり「かつて音楽は人間の手によって作られた時代があったんだよ」なんてさ
そんな時代を前にまだ見ぬとんでもねぇ音楽を作りてぇなんざほざいたり生きてるって そういうもんだろ
生きてるって そういうもんだろきっとこれからだって そうありたいと思っちまうのさ
「ずっと」とか「絶対」とか「一生」とかないのはもうわかったから
せめてもう少しだけこのままで ねぇこのままでいさせて例え「さよなら」が来るとしても 出逢えた喜びでおかしくなんだ
俺は俺をあと何回だって 何回だって繋ぎ止めるよ君はいないのに ずっとずっとここにいるのはねぇなんでなんだよ
あの行きつけの店の店長は自殺だったこと
死ぬ3日前連絡があったけど 出られなかったこと生きてりゃ色々あるよな
生きてりゃ 色々あるよな
生きてりゃ色々あるよな
生きてりゃ 色々あるよな
高校生の頃までは、音楽はリズムやメロディーで聴くことがほとんどだった。RADWIMPSでも「そっけない」や「スパークル」のような曲が好きで、どちらかといえば雰囲気や心地よさに惹かれていた。
けれど、20歳を過ぎてからは音楽の聴き方が少しずつ変わってきた。
まだ人生経験が豊富とは言えない年齢ではあるが、工業高校時代の友人が工場での事故で亡くなったり、自ら命を絶ってしまったりと、命の重さを考えさせられる出来事を身近で経験した。そうした出来事を経て、以前は何気なく聴き流していた歌詞が、まるで違う意味を持って心に届くようになった。
そんな中で出会ったのが、RADWIMPSの『筆舌に尽くし難い』だった。
この曲は、ただ綺麗な言葉を並べた歌ではない。生きることや死ぬこと、人との別れや残された人の想いなど、一つの答えがあるわけではないテーマを真正面から描いている。だからこそ、聴く人の経験によって受け取り方が変わる曲なのだと思う。
特に好きな部分、心に刺さった歌詞は
「ずっと」とか「絶対」とか「一生」とかないのはもうわかったから
せめてもう少しだけこのままで ねぇこのままでいさせて
永遠なんてないけど、この日常が永遠に続いてほしいと願う気持ちがある中で、「生きてりゃ色々あるよな」という一言が、ただの慰めではなく、人生そのものを受け入れる言葉のように感じられた。諦めろという意味ではなくそういうもんだから頑張れという意味だと聞こえた。
今までの自分は、「いい曲=耳に残るメロディー」だと思っていた。でも、この曲をきっかけに、「いい曲とは、聴いた後も考え続けてしまう曲なのかもしれない」と思うようになった。
これからは流行りの曲だけではなく、歌詞そのものに目を向けて音楽を聴いてみたい。人生経験を重ねるたびに、同じ曲でも違う景色が見える。そんな音楽との向き合い方を教えてくれた一曲だった。
今回、曲に関しての文章を作っていく中で自分って結構音楽好きなんだなと感じられたのでこれからも好きなアーティストや曲に関して書いてみたいと思います。
エラー: コンタクトフォームが見つかりません。

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